メイン | 2009年07月 »

2009年02月 アーカイブ

a000009

スイス連邦/スイス誓約者同盟

スイス連邦/スイス誓約者同盟、通称スイスは、ヨーロッパにある連邦制共和国。
永世中立国、直接民主主義国家である。
ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置する。
国内には多くの国際機関の本部が置かれている。

連邦首都はベルン市。主要都市は、チューリッヒ、バーゼル、ジュネーヴ、ローザンヌなど。

日本語表記はスイス連邦、および、スイス。漢字による当て字では瑞西と表記し、瑞と略す。
稀にドイツ語の正式名称から「スイス誓約者同盟」という訳がなされることがある。

国名は、スイス建国の中心的役割を果たしたシュヴィーツ州に由来する。
“Schwyz”(シュヴィーツ)は、古代ドイツ語で「酪農場」を意味する語が訛ったものだとされる。

日本語表記の「スイス」はフランス語名“Suisse”(スゥイス)または英語形容詞の“swiss”に由来する。
ラテン語名「ヘルヴェティア」は、古代ローマの支配が及ぶ前からベルン周辺に住んでいたケルト系先住民族の部族名・ヘルウェティー族に由来する。ドイツ語辞書によると「スイス人」を表す。

“schweizer”(男性名詞)/“schweizerin”(女性名詞)には「熟練乳搾り人」「教会堂番人」「ローマ教皇の近衛兵」、さらに「スイス製チーズ」の意味も含まれる。

a000010

歴史について

1291年8月1日、ウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの原始3州が、既得権益であった自由と自治を守るため、盟約者同盟を結成。
この日が、スイス建国の日とされている。

1315年、モルガルテンの戦いにおいて、農民兵で構成される同盟軍が、ハプスブルク家の精鋭部隊に大勝する。
その後、加盟州を増やしていくが、各州間では宗教改革などをめぐって争いが絶えなかった。
1648年、ヴェストファーレン条約によって正式に神聖ローマ帝国からの独立を達成。

1798年、フランス総裁政府からの強力な圧力を受け、傀儡国家のヘルヴェティア共和国が成立する。
近代憲法に基づく中央集権国家であったが、スイスの国情に合わず1802年に瓦解。
翌1803年、ナポレオンの仲裁により従来の盟約者団が復活。
1815年のウィーン会議で、国家としての「永世中立国」が認められた。

1848年に連邦憲法を制定したが、国家連合としての性格が強かった。
連邦国家体制が確立するのは、1874年の改正連邦憲法以降のことである。

第一次世界大戦でも武装中立を維持したため、1920年には国際連盟の本部がジュネーヴに設置された。
続く第二次世界大戦でも、フランスの降伏により四方を枢軸国のドイツとイタリアに囲まれながら、アンリ・ギザン将軍の指導のもとでなお武装中立を維持していたが、戦後になって中立違反についての多くの批判を受けることになった。

第二次世界大戦後に設立された国際連合には、その設立の経緯から見て公平中立な国際機構とは言い難いことと、それに加えて国際連盟での苦い経験もあって、半世紀以上の長きにわたって加盟していなかったが、2002年9月10日に国民投票の結果を受けて190番目の加盟国となり、永世中立の国是が大きく揺らぎ始めている。

a000011

首都ベルン

275px-Suisse_2005_Berne_aare_2.jpg

スイスの首都ベルンには、中世ヨーロッパ都市の姿を今に伝える美しい町並みが残っている。
それらの町並みは、1983年にユネスコの世界遺産に登録された。
この記事ではその世界遺産「ベルン旧市街」について扱う。

ベルンの町は、ゼーリンゲン家 のベルクトルト5世によって1191年に創設された。
町は三方を自然の防壁となるアーレ川に囲まれた丘の上に建てられ、残る一方には城壁、堀、時計塔などが築かれた。

その後も都市区画は、非常に明瞭な都市化の意図に沿って開発されていった。
1218年のゼーリンゲン家の断絶の後に、ベルンは神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世から自由都市の特権を得た。

1405年の大火災の後で、町はより堅固に再建された。

時代は下って1848年にスイスの首都になると、それを反映して新しい建物も見られるようになった。例えば、連邦院やベルン大学などである。

a000012

チューリッヒ

250px-Zurich-stadt.jpg

チューリッヒは、スイス連邦の一州。
地元のチューリッヒ方言では、ツュリと表記・発音される。
日本ではチューリヒと称することもある。

北側にチューリッヒ湖があり、標高は約400m。
市内にはリマート河が流れている。

スイス北部にあるスイス最大の都市で、金融・経済・商業・文化の中心地で、欧州有数の世界都市である。
人口は2004年の統計で366,145人、周辺人口を会わせると1,091,732人である。

治安・教育水準・各種インフラ等バランスよく整っている。
なかでも金融ではひときは有名であり数多くの金融機関・投資ファンド・投資家が存在している、特にチューリッヒに拠点を置く投機筋は「チューリッヒの小鬼」と呼ばれ国際市場に大きな影響力を持っている。

人事コンサルティングのマーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティング社によるサーベイ「海外駐在員が最も住みやすい都市」で2006年にはトップに選ばれている。
国際サッカー連盟(FIFA)を初めとし、多くの国際機関・国際団体の本部も存在する。

名前の由来はケルト語のTurusと思われ、それを示す資料が2世紀のローマ帝国時代の墓碑から見つかっている。
ローマ帝国時代の名前はTuricumであり、現在もチューリッヒ地方でのドイツ語方言でチューリッヒを指すZüriとよく似ている。

a000013

ジュネーヴ

ジュネーヴは、スイス西部、レマン湖の南西岸に位置する都市。
フランス語圏に属し、ジュネーヴ州の州都である。

人口は約18万人(2003年)、面積は15.86平方キロメートル、標高は373メートル。

三日月形のレマン湖の南西側の角を取り囲むように広がり、サレーヴ山、ジュラ山脈等の山地に囲まれる。市内をアルヴ川、ローヌ川が流れる。

第二次世界大戦前には国際連盟の本部が置かれ、現在も、国際連合の諸機関等の多くの国際機関が所在する世界都市であり、条約の作成やさまざまな国際会議が行われている。

また、サロン・アンテルナショナル・ド・ロト、国際高級宝飾時計展をはじめとする様々な国際見本市も開催される。

ピクテ銀行やロンバーオーディエ・ダリエヘンチ銀行等のプライベートバンクの本店が集中しており、プライベートバンクの中心地でもある。

スイスの公用語は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4言語であるが、フランス語圏のジュネーヴでは、ほとんどの場合フランス語が用いられる。

a000014

聖火をみたいなら

320px-Musee_olympique.jpg

オリンピック博物館は、スイス・ローザンヌにあるオリンピック関連の資料の博物館。

オリンピック博物館は、スイス・ローザンヌのウシー地区の広大な斜面を利用して造られ、目の前には広大なレマン湖が広がっている。
1993年に完成。1994年にはIOC創設100周年の記念セレモニーもここで行われた。

建物は、地下1階、地上3階建てで、設計を手掛けたのは、現代建築の巨匠の1人、メキシコの建築家ペドロ・ラミレス・ベスケスと地元のスイス人建築家ジャン・ピエール・カエンである。

「スポーツ・芸術・文化の一体化」を旨とするピエール・ド・クーベルタンの理念に基づく館内には、IOCにより収集されたメダル、トーチ、ポスターなどオリンピックの歴史に関する様々な資料が展示されている。

その他、記念切手や記念コインの展示コーナー、図書館、大ホール等の設備や常設展示、特別企画展示の会場などの施設も充実しており、最上階はレストランになっている。

また、庭園にはブロンズ、ステンレス、石材などの芸術作品が置かれている。

博物館正面広場には、オリンピック発祥の地ギリシャから寄贈された大理石材による8本の巨大な円柱が長方形の水盤を囲むように並んでおり、その右側の柱には夏季オリンピック開催地名が、左側の柱には冬季オリンピック開催地名がそれぞれ記されている。

また、広場の反対側には聖火が灯され、その炎は絶えることがない。